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それって本当に問題行動?研究レベルでも定義や測定方法が曖昧になりがちという結果

· 約5分
Tomohiro Hiratsuka
CEO of Easpe, Inc

このブログ記事では、自閉スペクトラム症(ASD)やその支援に関連する最新の学術研究を紹介しています。具体的には、ASDの子どもにおける極端な偏食によるビタミンA欠乏が視神経障害を引き起こした症例報告、早期介入研究において**「問題行動」とされる行動の定義と測定方法の曖昧さに関するレビュー研究**、そしてオーストラリアの国家障害保険制度(NDIS)がASD児の保護者、とりわけ母親の生活の質に与える心理的・社会的影響を質的に分析した研究が取り上げられており、いずれも医療・教育・福祉の現場における介入や制度設計の見直しに重要な示唆を与える内容となっています。

学術研究関連アップデート

Vitamin A deficiency presenting with ptosis and optic neuropathy in child with autism spectrum disorder

この症例報告は、自閉スペクトラム症(ASD)をもつ5歳男児が、ビタミンA欠乏症(VAD)によりまぶたが下がる(眼瞼下垂)外斜視視力低下などの目の異常を呈した稀な事例を紹介しています。男児は極端な偏食(白ご飯しか食べない)をしており、血液検査で深刻なビタミンA不足が確認されました。目の検査では角膜の濁りや結膜の異常、網膜の反応の極端な低下が見られ、MRIでは視神経の通り道が狭くなっている所見もありました。治療としてビタミンAと亜鉛の経口補給が行われ、1ヶ月で表面的な目の異常(角膜やまぶた)は改善し、1年3ヶ月後には網膜の反応も改善しましたが、視神経のダメージは一部残ったままでした。

この報告は、偏食や発達特性をもつ子どもの栄養リスクが視力障害という深刻な結果を招くことがあるため、早期の食事調査・栄養評価・目の機能検査の重要性を強調しています。

Journal of Child Psychology and Psychiatry | ACAMH Pediatric Journal | Wiley Online Library

この研究レビューは、自閉スペクトラム症(ASD)の子どもを対象とした早期介入研究において、「問題行動」とされるものがどのように定義・測定されているかを整理したものです。対象は8歳以下の子どもに対する非薬物的な集団デザイン研究で、102件の論文を分析しました。

結果として、研究の62%が行動の減少を主目的または副目的としており、33%がその理由を明示し、28%が「問題行動とは何か」についての考え方を示していました。しかし、明確な概念定義を示したのはわずか8%にとどまりました。多くの研究で使われていたのは、保護者の報告に基づく、既存の心理尺度(オフ・ザ・シェルフ測定)で、必ずしもASD児に特化したものではありませんでした。また、これらの尺度は、攻撃や自傷のような本質的に有害な行動と、自閉症に特徴的ではあるが必ずしも有害とは言えない行動(例:反復動作など)を一括りに扱っている傾向がありました。

本レビューは、何を「減らすべき問題行動」と見なすかについて、より明確な定義と合理性が必要であると指摘し、自閉症当事者の視点を取り入れた評価ツールの開発が求められることを提言しています。これは、介入が本当に本人の幸福に寄与するものかどうかを見極めるうえで極めて重要な課題です。

National Disability Insurance Scheme and Quality of Life Among Carers of Children With Autism Spectrum Disorder in Australia: A Thematic Analysis

この研究は、オーストラリアの国家障害保険制度(NDIS)が、自閉スペクトラム症(ASD)の子どもを育てる保護者(主に母親)の生活の質(QoL)にどのような影響を与えているかを明らかにするために行われました。9人の女性保護者へのインタビューをもとに質的分析(テーマ分析)を行った結果、以下の4つの主なテーマが浮かび上がりました:

  1. 「できないこと」に焦点を当てるNDISの構造が精神的な負担になる
  2. 保護者や家族自身のニーズが制度設計から取り残されている
  3. NDISの担当者がASDや育児現場への理解や経験に乏しい
  4. 女性に偏ったケア負担がもたらす社会的・経済的な困難(キャリア中断、孤立、経済的不安、夫婦関係の悪化、常時ケアの疲弊)

これらのテーマは、心理的・社会的・環境的側面にわたる保護者の生活の質を大きく左右しており、NDISの制度改善においては、子どもだけでなくケアを担う家族の支援も不可欠であることが示唆されています。